妊娠14週で〝破水〟するなんて…23週4日に生まれた604gと552gの命 10人に1人が「小さく生まれた赤ちゃん」

妊娠14週で破水するなんてーー。切迫流産で入院後、23週4日に604gと552gの双子を出産しました。当事者になって初めて知った「小さく生まれた赤ちゃん(低出生体重児)」のことをつづります。
朝日新聞 theLetter 2025.01.25
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生後15日、552gで生まれた弟は638gになりました。むくみで体重は増減しますが、1gでも2gでも体重が増えることがうれしく、成長を信じていました

生後15日、552gで生まれた弟は638gになりました。むくみで体重は増減しますが、1gでも2gでも体重が増えることがうれしく、成長を信じていました

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こんにちは。朝日新聞記者の河原夏季です。朝日新聞のニュースサイト「withnews」で、小さく生まれた赤ちゃんたちという連載を不定期で続けています。

このニュースレターでは、隔週の土曜日に小さく生まれた赤ちゃんを出産したお母さんたちのお話や、小さく生まれた赤ちゃん自身の「その後」のお話など、取材で伺ってきたストーリーや、アンケートに寄せられた思い、小さく生まれた赤ちゃんへのサポートなどをつづっていきます。登録は無料です。

私自身、4年前に1000g未満の小さな赤ちゃんを出産した母親で、入院中は体験記や記事、論文、関連する情報をあさっていました。

当時、ブログやSNSで同じ境遇の人を見つけることはできましたが、まとまった情報があまりなく、もっと体験談を知りたい・知ってもらいたいと思ったことが連載を始めたきっかけでした。

特に求めたのは、小さく生まれた赤ちゃんの「その後」の情報、どのように成長しているかという「未来」でした。不安で押しつぶされそうだった当時、息子たちが育っていく様子はまったく想像できず、1年先、2年先、できれば小学校、中学校、高校……と情報を探しました。

もちろん小さく生まれてもそうでなくても、成長発達のスピードは赤ちゃんそれぞれで違います。それは分かっていても、小さく生まれた赤ちゃんがどのように成長しているのか、誰かのケースを知ることで救われたり、心構えができたりしました。

後日、日本では2500g未満で小さく生まれる赤ちゃん(低出生体重児)がおよそ10人に1人いることを知りました。人口動態統計によると、2023年は約7万人の赤ちゃんが2500g未満で生まれています。「10人に1人って、意外とひとごとではないのでは?」。そんな疑問を持ちました。

そういえば、友人や知人が出産したときに赤ちゃんの体重や出生週数を聞いたことはありませんでした。わざわざ伝えることでもないですし、聞く側もそこまで考えないと思います。

ですが、振り返ってみると数人の友人・知人から切迫早産(早産の一歩手前の状態)になったという話を聞いたことはありました。息子を出産して以降は、保育園のママ友から「うちも小さく生まれたよ」と聞いたり、大学の後輩に「自分も早産で生まれました」と打ち明けられたりするようになりました。

604gと552g 仮死状態で生まれてきたふたり

初回は2021年4月、妊娠23週4日(妊娠6カ月)に、帝王切開で双子の男の子を出産した私の体験をご紹介します。

赤ちゃんは604gと552g、身長は約30cm。足を曲げているとペットボトルと同じくらいの、両手に収まる大きさです。当時、妊娠記録をまとめていたアプリには、「グレープフルーツくらいの『重さ』だよ」と記されていました。

本来であれば出産予定日は8月。初期の妊婦健診で、「双子は早産の心配があって、産休に入る前に入院もあるかもしれません」と言われていましたが、まさか約4カ月も早い出産になるなんて想像もしていませんでした。

「早産」についてきちんと理解していなかったのです。

通常赤ちゃんは妊娠37週以降だと体の機能が十分に成熟しているといわれ、37~41週(正期産)で生まれます。出生時の平均体重は約3000gで、平均身長は約48cm。早産と呼ばれるのは「22週0日~36週6日」での出産です。

新生児仮死状態で生まれたふたりはすぐに蘇生され、NICU(新生児集中治療室)へ運ばれていきました。「生きているのか」「大丈夫なのか」「急変しないか」。会えない時間は不安との戦いでした。

出産した翌日から面会へ行きました。「触ってあげてください」と医師や看護師さんたちに勧められ、おそるおそる保育器のなかへ手を伸ばしました。

ふたりの腕は人差し指くらいの太さで、手のひらは人差し指の第一関節くらいの大きさ。頭は軟式野球ボールと同じかそれより小さく、ふにゃふにゃ。皮膚は真っ赤で、ガリガリでした。口やへその緒には治療のための管が何本もつなげられています。

私が退院するまで毎日、数十分から1時間ちょっと面会するのが日課でした。保育器の中で一生懸命生きている姿を見るたびに、「親が弱気でいちゃダメじゃないか」と励まされていました。

生後5日の兄。初めて熱を測らせてもらいました

生後5日の兄。初めて熱を測らせてもらいました

妊娠14週で破水するなんて

そもそもなぜ小さく生まれるのでしょうか。

背景には、早産や多胎(双子や三つ子)、妊婦への体重制限、病気など、様々な要因があるといいます。早産の場合、お母さんが「自分が悪かったのでは」と責めてしまうことがありますが、お母さんのせいではなく、予防法は確立されていないそうです。

私の場合、早産のきっかけは「前期破水」でした。赤ちゃんはお腹の中で卵膜と羊水に包まれて成長します。

「前期破水」とは、陣痛が始まる前に細菌感染や羊水過多、多胎妊娠など何らかの原因で卵膜が破れ、羊水が流れてしまう状態をいいます。破水は妊娠するとよく聞く言葉ですが、出産が近い妊婦さんだけに関係することだと思い込んでいました。

私は妊娠14週4日の夜、何の前触れもなく破水しました。よりによって担当している企画のリモート収録中。初めはまさか破水だと思わず、「尿漏れ」だと思って下着のなかに数枚ティッシュを詰め込みました。

それでも「尿漏れ」は止まりません。20分後、収録の終わりと同時にトイレに駆け込むと、ティッシュは茶褐色に染まっていました。そこで初めて、「…破水した?」と不安が押し寄せました。

病院に電話するとすぐに来るように言われ、急いでタクシーに乗りました。同時にスマホで「破水」について検索しましたが、妊娠後期や出産直前の情報がほとんど。「14週 破水」と具体的なワードを入れて検索してやっと、週数が浅くても破水した人のケースに出合いました。

「妊娠初期でも、破水するんだ」。半信半疑で病院に到着すると、看護師さんが車いすを押して迎えに来てくれました。向かった先はMFICU(Maternal Fetal Intensive Care Unit)。妊婦と胎児の集中治療室です。

診察の結果はやはり「破水」でした。双子の兄の「部屋」からは羊水がほぼなくなっている状況。超音波検査の画像では、素人の私でも分かるくらい、いつも赤ちゃんの周りにあるはずの空間(羊水)がありませんでした。お腹の双子は二卵性でそれぞれが卵膜に包まれていたので、弟は特に異常がないようでした。

「突然のことでごめんなさいね」

当直の医師はそう一拍置いて、破水したほうの赤ちゃんが生きて生まれてくることはないだろう、と説明を続けました。

そう言われて涙が出ないはずがありません。「私はふたりを産めないんだ。5日前に診てもらったときには異常なかったのに……」。破水はしたけれど、ふたりはまだお腹のなかで生きていました。

医師からは「今病院にいてもできることはない。入院してもいいけど、家で安静にしている方がご家族に会えていいんじゃないか」と提案され、その日は帰宅しました。

「なんで破水しちゃったんだろう。双子の妊娠なのに、気を遣わなかったから?」

考えても仕方ないのに、そんな問いばかりが出てきました。破水は炎症や感染、子宮収縮などが原因と言われていますが、多くは原因不明で予防法も確立されていない、ということは後から知りました。

「最悪」を想定した医師の言葉に不安だけが募りました。帰宅後、家にあった胎児超音波心音計をお腹に当てると、しっかりとふたりの心音が聞こえてきました。

本当に心臓が止まってしまうのだろうか。心臓が止まるのを待つしかないなんて……。こんな状態では何も考えられず、上司に伝えて翌日は会社を休むことにしました。

「中絶を勧める。ただ……」

翌朝9時すぎ、病院から「即入院」の連絡がありました。破水すると子宮内感染のリスクが高まり、母体に影響する恐れがあるというのです。入院期間は状況次第ですが2週間くらいとのことで、入院の準備をして夫と病院へ向かいました。急なことでしたが、夫も午前中は仕事を休み、入院手続きを手伝ってくれました。

改めて診察を受けた後、担当医から淡々と状況の説明がありました。

14週という極めて早い時期に破水した場合、赤ちゃんがひとりだったら中絶を勧める。

ただ、今回は双子で別々の部屋に分かれていて胎盤も別だから、今のところもうひとり(弟)に異常はなく、すぐに中絶する理由はない。

でも破水している方がいつ細菌感染するかわからないし、さい帯(へその緒)が圧迫されて栄養が届かず胎内で亡くなるかもしれない。そうなるともうひとりに影響する。陣痛が来ることもあるかもしれない。

膜がふさがることもあるが、可能性は極めて低いーー。

前向きになれる材料を探したいのに、何一つ妊娠継続を期待できる言葉がありません。お腹のなかで、ふたりは相変わらず心臓を動かしています。どんな判断をしたらいいのか、すぐに答えは出ませんでした。

まずは感染しないように抗生剤を点滴して、今後については胎児の状況を見て判断することになりました。現状では血液検査をしても感染の兆候はないらしく、破水の原因は分かりませんでした。原因が分かればもっと自分を責めていたかもしれません。

入院から数日はMFICU(母体・胎児集中治療室)で治療を受けていました

入院から数日はMFICU(母体・胎児集中治療室)で治療を受けていました

以来ずっと不安を抱えつつも感染症状はなく、状況は横ばい。私にとっては嬉しいことで、ふたりとも毎日元気な心音を聞かせてくれました。

ただ、依然として羊水は増えません。羊水は、赤ちゃんにとってなくてはならない生育環境で、羊水の少なさは呼吸の練習ができない(=肺機能が育たない)、体を動かせない(=関節機能に影響する)など、様々なハンデにつながるといいます。生まれてこられたとしても、臓器が未成熟では生きられません。詳しい状態は生まれてみないと分からないようでした。

羊水は増やせないけれど、赤ちゃんたちを信じて週数を延ばすことが唯一の目標。気持ちは強く持っていたいと思い、できるだけ「中絶」や「流産」といったマイナスな言葉は口にしないようにして過ごしました。

「産むか、産まないか」を考え続けた50日

2週間くらいと言われていた入院生活ですが、その後幸運にも大きな変化はなく、ふたりの心臓は動き続けました。

そして入院52日目、一つの基準である22週を迎えました。赤ちゃんが体外で生きていける「生育限界」。21週までは生まれたとしても蘇生されることはなく、「流産」になります。この基準は医療技術の進歩とともに変わってきていて、1953年には妊娠28週未満、1976年には24週未満、1991年に今の22週未満になったそうです(「優生保護法の施行について」厚生事務次官通知)。

明確ではないものの、医師からは常々「産むか、産まないか」を考えさせられる言葉がありました。

入院時の説明では「生まれるか分からない」と同時に「生まれても重い障がいが残る可能性がある」と告げられ、22週が近くなると、生まれたとしても「治療をするか、しないか、考えないといけない」と言われていました。

しかし、「産まない、治療をしない」を選択する気はありませんでした。

破水は急なことでしたが、長引く入院生活の中で赤ちゃんの「死」と「障がい」については十分考える時間があり、気持ちの整理はできていたつもりです。その過程で多くの記事や体験談、情報も参考にしました。

「今日元気に動いていても、明日この心音を聞けるとは限らない」という日々だったからこそ、「ふたりが頑張ってくれている限り、私から命を終わらせることはしない」と思っていました。

これまで、何人もの障がいがある人と関わったり、周囲の人から話を聞いたりした経験もあって、私自身は障がいが産まない理由にはならないとも考えていました。

ただ、夫はどう思っていたのか、当時聞いてはいません。

上:破水していない弟のエコー写真。体の周りの黒い部分が羊水の空間です/下:破水した兄のエコー写真。左が頭で、右の胴体側に羊水の空間がありません

上:破水していない弟のエコー写真。体の周りの黒い部分が羊水の空間です/下:破水した兄のエコー写真。左が頭で、右の胴体側に羊水の空間がありません

2人で育てていくのだからとてつもなく大事な問題。ですが、夫の考えを聞くのが怖かったのが正直なところでした。

信じていないわけではないけど、万が一産むことを否定する言葉や躊躇する言葉が返ってきたらショックが大きい。ましてや入院中で面と向かって話す機会がほとんどないので、意見がすれ違ったらものすごいしこりになる気がしていたのです。

夫からも、赤ちゃんの今後をどうするか話題にされたことはありませんでした。もし産まないことを願っていたなら、本人から話題にしてきたのではないかと思います。生まれた後、夫に当時の思いを聞いてみると、案外しれっと答えが返ってきました。

「産むつもりなのは分かってたし、特に相談する必要もないかなって。仮に障がいがあったとしても、頑張って出てきてくれたならそれは生きていけるってことだと思うから。あとは親としてできる限りのことをするよ」

結果的に同じ方向を向いていたようでしたが、夫は夫なりに、十分考える時間を作っていたのかもしれません。

23週に入った日の未明に

「正直、良くも悪くもならずこの状況が続くと思いませんでした」

22週を迎え、前向きに産むことだけを考えていたとき、担当医に言われました。どういう意図があったのかは分かりませんが、嬉しくて笑ってしまいました。ふたりの生命力、すごいじゃないですか。

もうしばらくお腹にいてね。2カ月以上もお腹にいられたんだからまだまだ大丈夫だよ。そう思っていました。しかし、23週に入った日の未明、また大量の「水」が流れてきました。もうひとりのほうも破水したのです。

ふたりとも破水してしまったら、もうお腹のなかに長くはいられない。でも、このときは入院時より絶望感はありませんでした。

それからバタバタと帝王切開に向けて準備が進められ、2度目の破水から4日後に出産となりました。

生まれた当日の弟。体温を保つためにラップのようなものがかけられていました

生まれた当日の弟。体温を保つためにラップのようなものがかけられていました

羊水がない中でも頑張ってくれた兄は、想定していた通り肺がかなり未成熟でした。

一方の弟は、生後4日で腸に穴が開き、3度手術を受けました。小さな体で精いっぱい頑張っていましたが、壊死性腸炎という病気のため、生後60日を迎えた日に私の腕の中で旅立ちました。急変を伝えられた日から約1週間、ゆっくりじっくり親子で過ごす時間を持て、後悔のない別れができたと思っています。

兄はNICUとGCU(新生児回復室)で7カ月過ごした後、4390gに成長して退院。2年ほど在宅酸素療法を続けていました。その後も4回ほど入退院を繰り返していますが、今年で4歳、保育園の年少になります。

***

私の体験はあくまでもひとつのケースです。小さく生まれた赤ちゃん、ご家族、ひとりひとりにストーリーがあります。ニュースレターをきっかけに、小さく生まれた赤ちゃんを取り巻く状況について心を寄せていただけるとうれしいです。

2月8日に配信予定の回では、低出生体重児の母であるタレント・安田美沙子さんのインタビューを振り返ります。

河原夏季(かわはら・なつき)

朝日新聞withnews記者。5歳、3歳の息子を育てています。2021年、双子を妊娠中14週で突然破水。2カ月入院の末、604gと552gの男の子を出産しました。末っ子は生後2カ月を前に旅立ち。不安な日々、みなさんの体験記がとても支えになり、参考になりました。すべての妊婦さんが無事に出産でき、すべての赤ちゃんが元気に成長しますように。
X:@n_kawahara725
Instagram:@n_kawahara725

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